彼を特に好きになったのは、グラモフォンへピアニストとして録音をしていた時期にあたる。1984年、16年ぶりに来日した時のコンサートと1987年のサントリーホールでのベートーベンのソナタ全曲演奏の間である。以前のEMIとそれ以後のEMI時代はあまり興味がない。また、指揮者としては聴かないから判らない。
ショパンのノックターンでエエーッと思った。アラウさん、アシュケナージさん、ピリスさん、ブリジッド・アンジェレルさん、イヴァン・モラヴェッツさんを聴いてきている。その中で、バレンボイム盤とアンジェレル盤が好きである。
その延長線上で、シューベルト、リスト、シューマン、メンデルスゾーンを聴き、ベートーベンのピアノソナタ全集となる。最初は、ブラームスのヘンデルバリエーションだったけ。何もかも欲しくなる時期であった。ただ、EMIのショパンの小曲の録音にも興味があったが結局買わなかった。
また、デアベルリ・バリエーションが好きである。グルダ盤、リヒテル盤、ブレンデル盤、ピーター・ゼルキン盤、ダニエル・バルサノ盤、ディノ・チアーニ盤、コヴァセヴィッチ盤、ジュリアス・カッチェン盤、ウゴルスキー盤などの中で、一番気持ちに合っている。30変奏からの世界。詠唱、ウナリ、鼻歌というか、オドロオドロしく描ききっていることで背中がゾクゾクする。ベートーベンのメロディーに、自分の気持ちを託して一体化している。つくっているのではなく自然に歌っている。その演奏に共感する。ベートーベンのソナタ全集は、ノックターンとデアベルリ・バリエーションのツクリの集大成の感じである。もったなくて少しずつ聴いたが、少しずつ発売して欲しかった。
1984年に、大阪のフェステバルホールで聴いた時、ベートーベンの31番と32番のソナタとリストのソナタであった。リストではささいなところで2度引っ掛かって、ピアニスト自身ビックリしていたが、バレンボイム節を直接聴けて嬉しかった。16年振りというものにあこがれていったのであろう。
その後、EMIで゙モーツアルトのソナタ全集を発売している。カチッとしてキラキラして弾いている。丁度、その頃、結婚を機会にCD、レコードやコンサートの戦いから、身を引いた感じである。その2、3年後に来日して、バッハの夕べ、ブラ−ムスの夕べということで、ゴールドベルク・ヴァリエーションなどを演奏したと思う。
そして、1995年に、ブーレーズ・フェスティバルで、バレンボイムさんを再び聴く機会があった。ベルクのピアノとヴァイオリンと13楽器のためのカンマーコンチェルトでは、クレーメルさんの音楽性がまさっていたし、BSでは見たんだが、ピアノはポリーニさんを意識した。バレンボイムさんはバルトークのコンチェルトを弾いていただけ。現代音楽ではこの2人には負けるのか。指揮者としての顔もあった筈であるが、再生していない。ノックターン、デアベルリ変奏曲、ベートーベンのソナタについては、今でも最高だと思っている。
先日、バレンボイムさんの演奏活動50周年記念のCDを2組買った。ゴールドベルク変奏曲とディアベルリ変奏曲、D.935の即興曲、D.960のソナタ、悲愴、ダンテ・ソナタ、ブラームスの3番ソナタです。1990年頃のライブで、エラート盤の再発だと思う。演奏家の息遣い、キモチがタップリ感じられ、バレンボイムさんのピアノが好きだった頃を思い出してくれる演奏だった。
ゴールドベルク変奏曲。ここでは、思い入れタップリのバレンボイム節、念力のコブシは聴けない。ノビノビシミジミ、澄みきった世界が拡がる。うまく力が抜けて、自由奔放で柔らか。キラキラ輝くパッセージ、快いステキな装飾音が時々散りばめられる。アワテナイおおらかな呼吸のもと、キレイで美しい音楽が心にしみわたる。
難しく難しくしていない、心に映るものを表現しているだけ。ともあれ、他に例をみない長大な演奏。ライブだが、一つの作品として、全体像を見越し表現する意思は希薄。長い物語の巻物のよう。その瞬間、瞬間で美しいところを表現していく。そこで、自分の持っている感覚、音感の勝負をしている。次から次へと、キレイナキレイナ音楽を追っかけている。幸せそうに、慌てることなく楽しげに演奏している、バッハを語っている。
総てを逃すまいという緊張はなく、眼の前に広がる物語を無意識に受け入れるだけ。さっきはどうだったという記憶の意識は不必要。音の響きをココロ一杯に暖かく、今鳴っている音楽だけが重要。春の暖かさが感じられ、氷の微笑はナイ。ホクホクの満足感、ゆったりとしたキモチが最高。時間の経過を感じさせない。ステキでキレイな音の物語に耳を傾けるだけ。流れ続ける音楽である、ストップモーションの美しさではない
平均律クラヴィーア集第2巻のCDを聴く。ゆったりしみじみ愉しみの境地、クリアで伸びやかウットリ夢心地。バッハの音楽に物申すという一石を投ずる姿勢は全くなし、心の思いつくまま、ごく自然に長大に延々と流れる音楽。無条件にイイ気分にさせられる。昨年の第1巻には、まだ、纏めようとの意識ありしが、今回ほとんど皆無。アカデミックやウデの達者さや深遠なカリスマ性で勝負することなく、思いっきり楽しんでいる。羨みを覚える、今年2月の来日のコンサートでもそうだったのかしら。ショパンのノックターン集のドロリ耽溺気味の緊張感が懐かしい。鼻歌感覚、もったないがBGMに最適、気持をマイルド効果。私とって、どんな断面でも、好ましい音楽を創ってくれる素適なピアニストである。
クラシックが好きになってから、バレンボイムさんの天才性については引っかかっていた。どうして、若くしてベートーベンのソナタや協奏曲の全集を作ってしまった人がいるのだろう。人気がある理由が判らなかった。食わず嫌いのためか、他に一生懸命で、興味がそこまで広がらなかったためかも知れない。聴く機会があったにせよ深くツッコむことはしなかった。模範的美人の様な演奏をする人と思っていた。若くして巨匠になってしまっていた。
バレンボイムさんは、音楽をメイッパイに歌い上げ、ドラマチックに展開してくれた。力強く細部までエグリその鮮やかな斬れ口をみせる。それをフィルターを通して、キレイだとみせるのが演奏家の美意識か。濁を強調する異端性は持ち合わせていない、清の立場に立っている。潔さ、快感を感じる。純粋培養の優しさ、明るい音楽性を感じる。また、ドロっとしたバラードの様で、男の色気、独自の世界を感じ、コブシやウナリが聞えそうでバレンボイム節を感じた。1曲1曲が目新しく思えた。
1987年に、サントリーホールでの全曲演奏の時、2番、17番、10番、26番を聴いている。結婚した頃で家内と聴きに行っている。特段の感想は覚えていないが再会を楽しんだ。その頃、BSでベートーベンのソナタ全集を何回かやっていた。
(1999.6.7)
(2001.3.18加筆)
(2005.7.17加筆)
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