神殿の建設
月の第四の主の日には、原則として旧約聖書からみ言葉に聞いており、先月から列王記上に入っています。先月は3章を中心に、ソロモンが父ダビデのあとを継いでイスラエルの王となったことを読みました。このソロモンの時代が、イスラエル王国が最も勢力を拡大した時となりました。5章の1節に、ソロモンが支配した地域のことが語られています。「ソロモンは、ユーフラテス川からペリシテ人の地方、更にエジプトとの国境に至るまで、すべての国を支配した。国々はソロモンの在世中、貢ぎ物を納めて彼に服従した」、また5節には、「ソロモンの在世中、ユダとイスラエルの人々は、ダンからベエル・シェバに至るまで、どこでもそれぞれ自分のぶどうの木の下、いちじくの木の下で安らかに暮らした」ともあります。国が安定し、経済的にも繁栄し、民の生活が潤っていた様子が語られています。このソロモンのもとでの王国の繁栄の様子を語っているのが、3章から10章にかけてなのですが、その中心にあるのが、エルサレムの神殿の建設の話です。6章から8章がその神殿建設の話になっています。この6〜8章を挟んで、その前後に、それぞれ対になる形で、いくつかの話が繰り返されているのです。少し煩雑になりますが、それを指摘しておきますと、5章27〜32節に、ソロモンが神殿の建設などのために人々を徴用したことが語られていますが、それは9章15〜23節にもあります。5章15〜26節には、ティルスの王ヒラムという人がソロモンの神殿建設のための材料を提供してくれたことが語られていますが、そのことは9章10〜14節にもあります。5章9〜14節はソロモンの非常に豊かな知恵のことを語っていますが、それは10章1〜13節の、シェバの女王の来訪の話と重なっています。先月読んだ3章の4〜15節には、ギブオンという所で主なる神様がソロモンに現れてお語りになったことが記されていましたが、9章1〜9節には、主が、「かつてギブオンで現れたように、再びソロモンに現れ」て語られたとあります。そして3章の始めの1〜3節には、ソロモンがエジプトの王ファラオの娘を妻としたことが語られていますが、そのことは9章の24節にも言及されているのです。このように、3〜5章と9、10章には、重なり合う記事、対応している記述がいくつもあります。それらが言わば額縁のような役割を果たしており、その中に納められている絵に当るのが、6〜8章の神殿建設の話なのです。このような語り方によって列王記は、ソロモン王の行なった様々な事業、またそのもとでの王国の繁栄の中心に、神殿の建設を位置づけているのです。
神殿の意味
イスラエルの民にとって、神殿の存在は、ある意味では自分の住む家よりも大切でした。「聖書通読運動」のスケジュールにおいては、今「エズラ記」を読んでいるところです。そこには、バビロニアによって国を滅ぼされ、ソロモンの建てた神殿も破壊されてバビロンに捕囚として連れて行かれた民が、何十年かの捕囚の生活から、ペルシャ王キュロスによって解放され、故郷に帰ることを許され、そしてエルサレムの神殿を再建したことが語られています。周囲の人々の妨害を受けて建設が中断された時もありましたが、ようやくにして再建が成り、そこで過越祭を祝った、その大きな喜びが語られているのです。神殿を再建することこそ、捕囚から帰還した民の最大の願いであり、喜びだったのです。それは何故でしょうか。神殿がある、ということが何故そんなに大事なのでしょうか。それは、神殿というのは、神様がそこにおられる所だからです。神殿があるということは、神様がいて下さる場所があるということであり、国の中心に神殿があることによって、この国に、この民に、神様が共にいて下さることが保証されるのです。その神殿にお参りに行くことによって、神様に祈ることができる、いろいろなことをお願いすることができる、そういう場として、神殿は人々の生活の重要な中心なのです。
私たちの社会において、神社が果している役割はそれに近いものがあると言えるでしょう。毎年、大晦日の夜、「紅白」が終わって「行く年来る年」が始まる頃になると、教会の前の道は車でいっぱいになります。みんなここに車を停めて、護国神社に初詣に行くのです。初詣に行くのは、神様のおられる所である神社に行って一年の幸福を祈るためでしょう。そこに行けば神様がおられて祈りを聞いてくれる、そういう場所が神社であり神殿なのです。ただ、日本の神社とエルサレムの神殿とでは違いもあります。神社に祭られているのは何らかの「ご神体」です。それは神社によっていろいろと違うわけで、初詣に来る人は、ここの神社に祭られているご神体は何であるということをどれくらい認識しているのだろうかと思うのですが、エルサレムの神殿には、そういう「ご神体」はありません。ソロモンが建てた神殿の至聖所に置かれていたのは、「ご神体」ではなくて、「主の契約の箱」でした。8章の始めの方に、完成した神殿に主の契約の箱が運び入れられたことが語られています。至聖所に置かれたのはこの箱だけであり、その中に何が入っていたかということが9節に語られています。「箱の中には石の板二枚のほか何もなかった。この石の板は、主がエジプトの地から出たイスラエル人と契約を結ばれたとき、ホレブでモーセがそこに納めたものである」。箱の中にあったのは、何かの「ご神体」ではなく、石の板二枚だけでした。その板は、神様がホレブ、つまりシナイ山でモーセに与えたもので、十戒が掘り込まれていたのです。それを「契約の板」と呼び、それを納めた箱を「契約の箱」と呼んでいるのです。ソロモンの神殿はこの契約の箱を納める建物だったのです。
主の契約の箱
それなら、この契約の箱が、あるいはその中の二枚の石の板が「ご神体」ではないか、と思うかもしれません。しかしそれは違うのです。何故そう言えるかというと、先ほど申しましたあのエズラ記の方で再建された神殿、それを「第二神殿」と呼ぶのですが、その神殿には、もはや契約の箱も石の板もなかったからです。契約の箱と十戒の書かれた石の板は、バビロニアによるユダ王国の滅亡とエルサレムの破壊、ソロモンの建てたこの神殿の焼失の時に失われてしまいました。もしもこれがご神体ならば、それが失われてしまったらもう神殿の意味がありません。新たに神殿を建てる場合には、何か新しいものをご神体として納めなければならないはずです。しかし、第二神殿には、契約の箱に代るものは何も置かれませんでした。第二神殿の至聖所は空っぽ、何もない空間だったのです。後にこの地を征服したローマの将軍ポンペイウスという人が、ユダヤ人たちが大切に守っている神殿にはどんな神様が祭られているのだろうかと思って神殿に入ってみたところが、出てきて、「なんだ、何もないじゃないか」と言ったという話が伝わっています。契約の箱が失われて以来、エルサレム神殿の中心は何もない空間なのです。それは、契約の箱やあの石の板が「ご神体」ではなかったということを意味しています。契約の箱や十戒の石の板を「ご神体」として拝んでいるのではないのです。それらのものは、「契約の箱」という呼び方が示しているように、主なる神様がイスラエルの民と契約を結んで下さったことの印です。神様がイスラエルの神となり、イスラエルはこの神様の民となる、そういう特別の関係を、神様がイスラエルとの間に結んで下さったのです。この契約の恵みに基づいて、イスラエルの民は主なる神様を礼拝し、犠牲をささげ、祈ることができるのです。そのことが行われる場が神殿です。ですから、神殿に神様がいて下さる、神殿に行けば神様を礼拝し、祈ることができる、というのも、この契約に基づくことなのです。神殿に、神様が、ご神体という形で物理的に存在していたり、住んでいたりするわけではありません。神殿に来たからといって、神様との距離が何メートルにまで近くなったということではないのです。神殿は、神様がイスラエルの民と結んで下さった契約の恵みを覚えつつ、礼拝をささげ、祈る場所です。だから、具体的な契約の箱はなくても、神殿を再建することができるし、ちゃんと礼拝が成り立つのです。
祈りを聞きたもう主
先ほど朗読された8章22節以下は、神殿が完成し、契約の箱が運び入れられてから、ソロモンが祈った祈りの言葉です。神殿を神様にお献げする奉献の祈りであり、また神様の祝福を求める祈りでもあります。この祈りにおいてソロモンが語っていることは、まさに今言った、この神殿の基本的な性格に関することです。特に27節以下にそれがはっきりと語られています。27節にこうあります。「神は果たして地上にお住まいになるでしょうか。天も、天の天もあなたをお納めすることができません。わたしが建てたこの神殿など、なおふさわしくありません」。主なる神様は、地上のどこかの場所に住むような方ではない、どんなに立派な、壮麗な神殿を建てたとしても、そこを神様の住まいと定めることなどできはしないのです。神様はこの世界の全てをお造りになった方です。その神様を、地上のどこかに、また人間が作ったものの中に閉じ込めてしまうようなことはできないのです。それなら、神殿は何のためにあるのか。そのことが29、30節に語られているのです。「そして、夜も昼もこの神殿に、この所に御目を注いでください。ここはあなたが、『わたしの名をとどめる』と仰せになった所です。この所に向かって僕がささげる祈りを聞き届けてください。僕とあなたの民イスラエルがこの所に向かって祈り求める願いを聞き届けてください。どうか、あなたのお住まいである天にいまして耳を傾け、聞き届けて、罪を赦してください」。神殿は、神様が「ここに住む」と言われた所ではなくて、「わたしの名をとどめる」と言われた所です。「名をとどめる」というのは、具体的には、神様が、その住まいである天から、この神殿に常に目を注ぎ、耳を傾けている、ということです。つまり主の名によって建てられているこの神殿においてなされる祈りを、神様がいつもしっかりと聞いていて下さる、祈る者に目を注いでいて下さるのです。それこそがあの「契約の恵み」です。神様がイスラエルの神となり、イスラエルは神の民となる、それは、イスラエルの民の祈りに神様がいつも耳を傾け、目を注いで受け止めて下さることであり、そういう特別な関係をイスラエルの民との間に結んで下さるということなのです。
七つの祈り
契約の恵みによって神様の民とされた者たちがこの神殿において祈ることは様々です。その祈りが七つにわたってここに並べられています。第一は、31〜32節の、隣人との関係におけるトラブルの苦しみにおける祈りです。隣人が自分に罪を犯す場合、あるいは逆に自分が隣人に罪を犯してしまう場合、いずれにせよ、隣人との関係がうまくいかなくなり、うらみ、憎しみに支配されてしまう時に、この神殿において神様に祈るのです。神様は、人間の目には見えない真実を知っておられる方です。その神様が正しい裁きを行って下さる、自分の苦しみや怒りや憎しみをその神様の裁きに委ねる祈りがここでなされるのです。
第二は、33〜34節の、神様に対する罪の結果として、敵に打ち負かされてしまった時の悔い改めの祈りです。これについては、最後の第七の祈りと内容的に重なっていますのでそちらに回しましょう。第三は、やはり罪のゆえに神様が天を閉ざし、雨が降らなくなった時の雨乞いの祈りです。第四も、飢饉や疫病、作物の不作、敵による包囲などの時の祈りです。これらの苦しみは、神様への罪に対する罰として下されるものと考えられています。それゆえにそこでなされる祈りは、罪を悔いて神様に立ち返り、憐れみを乞う祈りです。そういう民の悔い改めの祈りを神様が受け止め、それに応えて災いを止め、幸いを返して下さるように願っているのです。
第五は、41〜43節ですが、これは、イスラエルの民に属さない異国人の祈りです。神様の契約の恵みにあずかっていない、神の民とされていない異国人であっても、主なる神様のみ名を慕ってこの神殿に来て祈る者の祈りを、聞き届けて下さるようにとソロモンは祈っています。主なる神様は、決してイスラエルの民だけの神ではありません。全世界の、また全ての人々の造り主であられる神様なのです。イスラエルの民が特別に選ばれ、契約の恵みを与えられたのは、この民を通して神様の祝福、救いの恵みが、すべての人々へと伝えられ、広められていくためです。神様はご自分を慕い求める全ての民を恵みの下に置き、養い導いて下さるのです。またエルサレムの神殿も、イスラエルの民だけのためのものではなく、全ての国の人の祈りの家であるべきなのです。本日共に読まれた新約聖書の箇所、マルコ福音書第11章17節で主イエスが言われたのもそのことなのです。
44、45節にある第六の祈りは、イスラエルの民が敵と戦うために戦場へ向う、その途上で、エルサレムの神殿の方を向いて祈る、その祈りと願いに耳を傾け、彼らを助けてくださいというものです。ここで大切なことは、もはや神殿の境内における祈りではなく、そこから遠く離れた場での祈りが、神殿における祈りと同じに扱われていることです。遠くの場所で、神殿の方を向いて祈る、それは体の向いている方角がどうかという問題ではなくて、心の方角のことでしょう。心が神殿に向いている、つまり、神様の契約の恵みを覚えて、主なる神様への祈りがなされる、その祈りは、どこにおいても神様がそれに耳を傾け、目を注いで下さるのです。そしてそのことが最後の第七の祈りへとつながっていきます。これが最も長い祈りになっています。それは、イスラエルの民が神様に向って罪を犯し、その結果として、神様の怒りによって敵の手に渡され、捕虜となって敵地に引いて行かれてしまう、さらには国そのものが滅亡して他国に捕え移されてしまうという苦しみの中での祈りです。ここには明確に、バビロン捕囚の出来事が意識されています。実はこの列王記などが書かれた時代は、バビロン捕囚を経た、後の時代なのです。そのことが既にこのソロモンの神殿奉献の祈りに反映されているのです。そういう遠い捕囚の地バビロンで、イスラエルの民が、自らを省みて神様への罪を悔い、「わたしたちは罪を犯しました。不正を行い、悪に染まりました」と告白し、神様の憐れみを求めて、既に破壊されてしまっている神殿の方に向って、主なる神様に祈る、その祈りと願いに耳を傾け、民の罪を赦し、憐れみを与えて下さいとソロモンは祈っているのです。罪の結果、国が滅亡し、故郷を負われて遠い他国で捕われの身となっている、そういう絶望的な苦しみ、どこにも救いの光が見えない暗闇の中で、悔い改めて神様に立ち返る、罪を告白して神様の赦しを求める、そういう祈りが、神殿を思い起こすことによって、それが指し示していた神様の恵みを思い出すことによって与えられる、このように神殿は、苦しみと絶望の中にある民に、悔い改めの祈りへの道を開くものなのです。
祈りと悔い改めの家
神殿とは、神様がいて下さる場所だと最初に申しました。けれどもそれは、今見てきたように、神様がどこかの場所に住んでおられるということではありません。必要な時にそこへ行けば神様の助けを受けることが出来る便利な場所がある、などというものではないのです。ソロモンが建てた神殿は、今見てきたように、神様の民とされたイスラエルの人々が、常に神様に祈り、神様と共に生きるための場です。あるいはまた、すぐに神様から離れ、自分を神として歩んでしまう罪深い人間が、神様のもとに立ち返るために与えられている恵みの場、悔い改めの機会を与えてくれている所と言ってもよいでしょう。イスラエルにおいて神殿とはそういものであり、捕囚からの帰還後に建てられた第二神殿も、そしてそれをヘロデ大王が大改修を施してまことに壮麗な建物にした、主イエスの時代の神殿も、本来はそういうものだったのです。しかしあのマルコ福音書11章において主イエスが見られた神殿は、その本来の精神を全く失ったものとなっていました。犠牲は捧げられていましたが、本当の意味で神様のみ前にひれ伏す礼拝はなされず、むしろ人間の欲望に利用される、「強盗の巣」となってしまっていたのです。また、異邦人たちの祈りも、商売人たちの喧騒によって妨げられており、「すべての国の人の祈りの家」というソロモンの神殿建設の精神は失われていました。主イエスはそのことへの怒りを露わにされました。そしてこの神殿は結局、紀元70年に、ローマの軍隊によって完全に破壊されてしまうのです。以後、エルサレムの神殿は二度と再建されることはありませんでした。
まことの神殿主イエス
けれども、ソロモンの奉献の祈りに語られている本来の意味での神殿は、人間が造る建造物とは全く違う仕方で、神様によって整えられ、私たちに与えられているのです。それが、神様の独り子イエス・キリストです。主イエス・キリストは、「インマヌエル」、つまり「神は我々と共におられる」ということを実現して下さった方です。私たちの内に神様がいて下さり、私たちが神様に祈り、礼拝をささげ、神様と共に生きることを可能にして下さった方です。また主イエスは、私たち罪人が悔い改めて神様のみもとに立ち返る、その道を開き、神様による罪の赦しをご自分の十字架の苦しみと死とによって成し遂げて下さった方です。つまり主イエスにおいて、神様は私たちと新しい契約を結び、主イエスの父なる神様が私たちの天の父となって下さり、独り子主イエスを信じる私たちを神様の子として、主イエス・キリストを長子とする神様の家族である新しいイスラエル、教会へと招き入れて下さったのです。この新しい契約の仲立ちとなって下さった主イエスこそ、私たちのまことの神殿です。私たちはどこかの建物としてではなく、聖霊によって常に共にいて下さる主イエス・キリストという神殿を与えられているのです。教会の建物は神殿ではありません。それは、まことの神殿である主イエス・キリストのもとに神の民が集まって礼拝をささげるための場所です。主イエス・キリストが私たちのまことの神殿であられるから、私たちは主イエスのみ名のもとに集まり、こうして礼拝をすることができるのです。この建物があるから礼拝ができるのではありません。礼拝の真中にいて下さる主イエス・キリストが、礼拝を可能にしているのです。そしてだからこそまた、病気や老いや、様々な事情でどうしてもこの場に集って礼拝を守ることができない人でも、まことの神殿である主イエス・キリストの方に心を向け、またこの場所で行われている礼拝を覚えて共に祈りを合わせていく時に、神様はその祈りを、この場に集っている私たちの祈りと同じようにしっかりと耳を傾け、目を注いで聞き取って下さるのです。そのようにして私たちは、この場に共にいることができない人々とも心を一つにして、神様を礼拝するのです。そういう礼拝の恵みを毎週与えられている私たちはまことに幸いです。初詣に行って新しい年を新しい思いで迎える、それ以上の恵みを、私たちは毎週繰り返して与えられているのです。来る年も、主イエス・キリストのもとで、礼拝から礼拝へと、生命の日々を刻んでいきたいと思います。
牧師 藤 掛 順 一
[2002年12月29日]
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