王国の分裂
月の最後の主の日には、旧約聖書からみ言葉に聞いています。今読んでいるところは列王記上です。列王記は、ダビデの息子ソロモンがイスラエルの王になるところから語り始め、その王国が最後バビロニアによって滅ぼされ、多くの人々がバビロンに捕囚となるまでの、つまりイスラエルの王国としての歴史を、歴代の王たちの事跡を語るという形で描いています。ダビデが基礎を据えたイスラエル王国は、その子ソロモンの時代に、最盛期、黄金時代を迎えました。けれどもソロモンの死後、王国は南北二つに分裂してしまうのです。イスラエル統一王国はソロモンまでで、それ以後は、北王国イスラエルと南王国ユダとして、それぞれ別の歩みをなし、両者はしばしば対立し合うようになります。そして北王国イスラエルは先にアッシリア帝国によって滅ぼされてしまいます。南王国ユダはその後も二百年ほど続きますが、先ほど申しましたようにバビロニアによって滅ぼされるのです。最盛期にあったソロモンの王国が、ソロモンの死とともにあっけなく分裂してしまう、そのいきさつが、本日の第12章に語られています。
シケムの集まり
さて、第11章の最後の43節に、ソロモンの死が語られています。そこにはこうあります。「ソロモンは先祖と共に眠りにつき、父ダビデの町に葬られ、その子レハブアムがソロモンに代わって王となった」。つまりソロモンの死によって、その子レハブアムが王となった、王権が、世襲によって父から子へと受け継がれたのです。王位の継承というのはたいていこのようにしてなされるものです。しかし、事はそう簡単ではありませんでした。12章の1節にはこうあります。「すべてのイスラエル人が王を立てるためにシケムに集まって来るというので、レハブアムもシケムに行った」。ここには、当時のイスラエル王国の事情が現れています。つまりイスラエルは基本的に、十二の部族の連合体です。実際に部族が十二あったかどうかということは歴史的にはかなり疑問視されているところですが、いずれにせよ、独立性の強いいくつかの部族の連合体であったことは間違いありません。そのような中で、全部族を束ねる王となるためには、各部族の承認が必要だったのです。あのダビデも、最初はユダ族の王となったのが、後から他の諸部族も彼を王とすることを受け入れて全イスラエルの王になったのでした。ソロモンはその王国を受け継ぎ、ダビデ王家に権力が集中する中央集権的な国家体制を築いていきました。しかしまだこのころは部族連合的な意識が人々の中に根強く残っていましたから、そういうソロモンの中央集権的な政治に対する反発もかなりあったのです。それゆえに、ソロモンの死後、その子レハブアムが王となることも、自動的にはいかず、各部族の承認を受ける必要があった、それがこのシケムにおける集まりの意味です。そしてこのシケムの集まりの結果、ユダ族とベニヤミン族以外の北部の十部族は、レハブアムを王として認めず、袂を分かってしまったのです。レハブアムは南のユダとベニヤミンのみの王となり、これが南王国ユダとなりました。北の十部族は別の王を立てて北王国イスラエルとなっていったのです。
レハブアムの失敗
このシケムの集まりが決裂して王国が分裂してしまった、その原因はレハブアムにあった、彼の問題と誤算が王国の分裂をもたらしたのだと12章は語っています。シケムに集まった諸部族の人々は、最初からレハブアムを王として認めない、と言っていたわけではありません。ただ彼らは、レハブアムに一つのことを願ったのです。その願いを適えてくれるなら、あなたを全イスラエルの王として受け入れましょうと言ったのです。その願いが4節です。「あなたの父上はわたしたちに苛酷な軛を負わせました。今、あなたの父上がわたしたちに課した苛酷な労働、重い軛を軽くしてください。そうすれば、わたしたちはあなたにお仕えいたします」。ソロモン王は、国民に過酷な労働、軛を負わせました。そのことは、例えば第5章の27節以下に、神殿の建設のためのレバノン杉の調達などのために、ソロモンがイスラエルの人々に労役を課したというところに現れています。イスラエル全国から三万人が徴用されてレバノンに送られたのです。またその後の29節には、ソロモンには荷役の労働者が七万人、山で石を切り出す労働者が八万人いたとも語られています。これらは全て徴用、つまり命令によって労働に駆り出された人々です。徴用だけではなく、中央集権的国家を建設し、また軍隊を維持するために、多くの税金が科されたことも伺えます。「ソロモンの栄華」と呼ばれる繁栄は、そのような人々の犠牲の上に築かれていたのです。人々がレハブアムに願い出たのは、そのような負担の軽減です。ソロモンが課した過酷な労働、重い軛を軽くしてください、そうすればあなたを王として受け入れますと人々は言ったのです。
レハブアムはこの願いに対して、三日後に返事をすると言って、その間に側近の者たちと相談をしました。まず、父ソロモンに仕えていた長老たちに相談したところ、彼らはこう進言しました。7節です。「彼らは答えた。『もしあなたが今日この民の僕となり、彼らに仕えてその求めに応じ、優しい言葉をかけるなら、彼らはいつまでもあなたに仕えるはずです』」。イスラエルの王たる者は、むしろ民に仕える者、民の僕となるべきだ、そうすれば、民もあなたに仕え、あなたの王権は揺るがないものになる、というのです。これは、「人の上に立とうとする者はむしろ仕える者となれ」という主イエスのお言葉ともつながるような教えです。しかしそのようなことまで考えなくても、これは政権の交代において、新政権が人々の心をつかむための常識でもあります。新しく権力を握った者が、その権力を安定させるために先ずなすべきことは、国民の負担を前政権の時よりも軽くすることなのです。そうすることによって、人々に、「政権が変わってよかった、前の政権より今度の政権の方がよい」という思いを持たせる、まずはそのようにして政権の基盤を安定させてから、だんだんに独自の政策を打ち出していく、というのが、政治のイロハです。長老たちの進言は、政権の交代において留意すべき常識的なことを語っているに過ぎないのです。ところがレハブアムは、この長老たちの進言を喜びませんでした。そして今度は、「自分と共に育ち、自分に仕えている若者たち」に相談したのです。長老たちは長年ソロモンに仕えてきた年配の人々です。その人々の進言を捨てて、自分と同世代の友人たちのアドバイスを求めたのです。彼らはこう言いました。10、11節です。「彼と共に育った若者たちは答えた。『あなたの父上が負わせた重い軛を軽くせよと言ってきたこの民に、こう告げなさい。『わたしの小指は父の腰より太い。父がお前たちに重い軛を負わせたのだから、わたしは更にそれを重くする。父がお前たちを鞭で懲らしめたのだから、わたしはさそりで懲らしめる』』」。父ソロモンよりももっと重い負担を与えると宣告するようにと彼らは言っています。レハブアムはこの彼らの勧めに従ってその通りのことを人々に語り、その結果、人々の離反を招いたのです。
自尊心
なんと愚かなことか、と私たちは思います。こんなことを言えば、人々の心が彼から離れてしまうことは目に見えているではないか、何故そんな簡単なことに気づかないのか、と思うのです。けれどもこのレハブアムの愚かさは決して他人事ではないと思います。第三者が、客観的に見たらなんと愚かな、と思うことが、当事者になると見えなくなる、わからなくなる、ということが多々あるのです。レハブアムが長老たちの進言を退け、若者たちの言葉を受け入れたのは、偉大なソロモン王の子として、父の権威を引き継ぐのだ、という自負によることでしょう。彼は、父ソロモンと同じくらい、いやそれ以上に偉大な者であろうとしたのです。そういう偉大さを示そうと胸を張って見せたのです。そのように居丈高になることの背後にはしかし、軽く見られることへの不安、恐れがあります。ソロモンほど大した者ではない、ああいう大きな器ではない、と見られ、軽んじられるのではないか、という不安に彼はとりつかれているのです。そのような不安、恐れの中にいる彼にとって、長老たちの、民に対して謙遜な王であれというまことに賢明な進言は、自分の権威をおとしめ、人々に軽く見られる結果を招くものであるように聞こえてしまい、逆に若者たちの無謀な、愚かな進言が、自分の威光を高めるものであるように思えてしまうのです。つまり彼のこの愚かな選択の原因は、彼の自尊心、実力も伴わないのに、父と同じ偉大な者、いやそれ以上の者であろうとするプライドがあるのです。そういう自尊心、プライドにとりつかれるときに、第三者から見ればまことに分かりきった、愚かな間違いを犯してしまう、それが私たちの現実なのではないでしょうか。
今私たちは、イラクにおける戦争の行方を心配しつつ見つめていますが、そこにも、これと同じような愚かな間違いがあるように思えます。先週のいろいろな報道を読んでいて一つ私が驚かされたのは、アメリカは自分たちがフセインの独裁からの解放者としてイラクの人々に歓迎されると思っていたのが、そうでないので戸惑っているという話です。そういう思いでこの戦争を始めたのなら、それはブッシュのまことに愚かな思い込みであると言わなければならないでしょう。もともとこの戦争は、あの同時多発テロ以来、「テロとの戦争」を宣言してきたアメリカが、テロを支援する国とそこにある大量破壊兵器がアメリカの安全を脅かすものであると主張し、そういう所には先制攻撃も辞さないというブッシュ・ドクトリンによって引き起こしたものです。つまりこれがアメリカの安全を守るための戦いであるということはアメリカ自身が語ってきたことなのです。フセインの独裁によって苦しめられているイラクの人々を救う、という大義名分は後からくっつけたものに過ぎません。ところがそういうことを主張しているうちに、それが真実であると思い込んでしまい、イラクの人々は自分たちによる解放を待っていると思い込んでしまう。それは、第三者が見ればまことに愚かなことですが、人間は自分に都合のよいことだけを見つめ、それを真実と思い込み、都合の悪いことには目をつぶってしまうという傾向にあるということの一つの実例です。レハブアムが陥ったのと同じ間違いを、私たちは今日もあいかわらず繰り返しているということです。
ネバトの子ヤロブアム
王国の分裂の原因となったのはこのようなレハブアムの愚かさ、自尊心による思い込みでした。けれどもそれだけではありません。そこにはもう一人の人物の存在があったのです。それは、ネバトの子ヤロブアムです。この人のことは既に第11章に語られていました。それによれば、彼はエフライム族の出身で、ソロモン王のもとで、有能さを買われて労役の監督に任命されていましたが、ソロモンに背いて指名手配になり、エジプトに逃げていたのです。つまり彼はソロモンの時代から、反体制運動の中心にいた人物でした。ソロモンの死とともに彼はイスラエルに戻り、ソロモンの課した労役の軽減を求める人々の中心となりました。シケムの集まりにおいてレハブアムに、民を代表してあの願いを語ったのはこのヤロブアムだったのです。つまりシケムの集まりにおいて民は烏合の衆としてレハブアムに対したのではなく、ヤロブアムという指導者のもとに結束したのです。それゆえに、レハブアムがあのような愚かな答えをした時に、北の十部族は直ちに一致団結してレハブアムのもとを去り、そしてヤロブアムを王として立てて北王国イスラエルを設立することができたのです。ヤロブアムの存在がなければ、このようにまとまった行動はとれなかったでしょう。レハブアムの愚かさと共に、このヤロブアムの存在によって、イスラエルは二つの王国に分裂したのです。
このヤロブアムは、主なる神様が選び、立てた人物であったということが、11章に語られていました。神様はアヒヤという預言者を通して、ヤロブアムに、あなたがイスラエルの十二の部族の内十部族をダビデ家から引き裂いてその王となる、ということを告げたのです。それは、ソロモンが主なる神様を忘れ、外国の他の神々を拝むようになったことに対する神様の裁きでした。まことの神様を捨てて偶像の神々を拝むようになったソロモンの罪への裁きとして、イスラエル王国は分裂したのです。ヤロブアムはそのために立てられ、用いられたのです。王国の分裂は、根本的には、レハブアムの愚かさのゆえでも、ヤロブアムの指導力のゆえでもなく、主なる神様のみ心によることだったと列王記は語っているのです。
レハブアムの悔い改め
十部族の離反を知ったレハブアムは、武力をもって彼らと戦い、全イスラエルを自らの下に従えようとします。そのためにユダとベニヤミンから十八万の戦士を召集したと21節にあります。しかしそこに、シェマヤという神の人、つまり預言者が現れます。彼はレハブアムと、ユダ、ベニヤミンの人々にこう語ります。「主はこう言われる。上って行くな。あなたたちの兄弟イスラエルの人々に戦いを挑むな。それぞれ自分の家に帰れ。こうなるように計らったのはわたしだ」。このシェマヤを通して与えられた神様のみ言葉によって、レハブアムは軍を引き、イスラエルの民どうしの戦いは回避されました。このことはごく簡単に述べられていますが、深い意味を持っているように思います。シェマヤはレハブアムとその軍勢に「自分の家に帰れ」というみ言葉を語りました。人々はその主の言葉に従って「帰って行った」のです。ここに繰り返し用いられている「帰る」という言葉は、旧約聖書において大事な意味を持つ言葉で、「悔い改める」という意味をも持っています。「帰れ」とのみ言葉は「悔い改めよ」という呼びかけでもあり、「帰った」というのは「悔い改めた」ということでもあるのです。つまりここで、レハブアムに「悔い改め」が起ったと言うことができます。彼が軍勢を引いたのは、悔い改めたことによるのです。彼が十八万の大軍を召集してイスラエルを奪還しようとした、そこにはあいかわらず、「わたしの小指は父の腰より太い」というような、彼の自尊心による虚勢、軽く見られてたまるか、父よりも偉大な者となろう、という思いが表れています。しかし彼は主の言葉、「こうなるように計らったのはわたしだ。兄弟イスラエルに戦いを挑むな」というみ言葉によって、その虚勢を捨てたのです。居丈高に自分の権威をふりかざして人を従わせようとすることをやめたのです。そして、自分の身の丈に合った生き方に落ち着いたのです。それが彼の悔い改めでした。この悔い改めによって、愚かな、悲惨な戦争は回避されたのです。それはあの自分勝手な思い込みからの解放でもあります。このような悔い改めがないために、今私たちのこの世界は悲惨な戦いの泥沼に踏み込んでしまっているのです。
ヤロブアムの罪
一方、神様のみ心によって北王国イスラエルの王となったヤロブアムはその後どうしたでしょうか。彼の心が不安に満たされていったことが26節以下に語られています。「今、王国は、再びダビデの家のものになりそうだ。この民がいけにえをささげるためにエルサレムの主の神殿に上るなら、この民の心は再び彼らの主君、ユダの王レハブアムに向かい、彼らはわたしを殺して、ユダの王レハブアムのもとに帰ってしまうだろう」。北王国イスラエルの最初の王になった彼は、その王国を失う不安に満たされているのです。それは、主なる神様を礼拝する神殿がエルサレムにあり、北王国にはそれに代る場所がないからです。人々の心は、結局、神殿のあるエルサレムに向かい、そこを治めているレハブアムに戻って行ってしまうのではないか、自分を殺して首を土産にレハブアムに忠誠を尽くすようになってしまうのではないか、そう思うと彼は不安でいても立ってもいられなくなったのです。この彼の姿は、ソロモン体制への反対者として民を代表してレハブアムに要求をつきつけたあの姿とは対照的です。権力は、それを得たとたんに、今度はそれを失うことへの不安材料になるということでしょう。この不安によって彼は、とんでもない間違いを犯してしまうのです。28節「彼はよく考えたうえで、金の子牛を二体造り、人々に言った。『あなたたちはもはやエルサレムに上る必要はない。見よ、イスラエルよ、これがあなたをエジプトから導き上ったあなたの神である』」。「金の子牛」、それはあのシナイの荒れ野で、モーセが神様から十戒を授かっている間に、麓にいた人々が、自分たちを導く目に見える神を求めて造ったものであり、神様の激しい怒りを招いたものです。あのシナイにおける罪がここでもう一度繰り返されてしまったのです。しかも今度は二体の子牛が造られ、北王国の南北に置かれました。またあちこちの「聖なる高台」、つまり人々が神々に犠牲をささげる場所に神殿が造られました。こうして、王であるヤロブアム自らの手によって、北王国に偶像の神々への礼拝、祭儀が導入されたのです。またヤロブアムは、レビ人以外の人を祭司として立てたともあります。イスラエルにおいて、主なる神様への祭司の務めは、レビ人が負うということが律法に定められています。神様はレビ人を祭司の部族として選ばれたのです。そのレビ人以外の祭司を立てるということは、人間が勝手に祭司を立てるということです。また32節以下には、ヤロブアムが南王国ユダで行なわれている祭りに倣って、しかしそれとは別の月に祭りを行なったということも語られています。彼は第八の月の十五日に祭りを行なったのですが、これはユダでは第七の月の十五日に行なわれる「仮庵の祭り」を一月ずらして行なったものです。これらの一連のことは、ヤロブアムが、北王国の人々のために、エルサレムの神殿を中心として行われているユダの祭りに似せた宗教的行事を行なったということです。それによって北王国の人々の心を、エルサレムに、ダビデ王家に向かわせないようにし、自分が王である北王国の中で礼拝を行い、犠牲をささげ、祈ることができるようにしたのです。しかしそれは、人間が、自分の都合のために勝手に神様を作り出し、そのための祭司を人間の思いで立て、礼拝や祭儀も人間の思いによって整えたということです。北王国で行なわれる礼拝は、形においては主なる神様への礼拝に似ていましたが、全てが人間の思いや都合による真似事、偽物の礼拝でしかなかったのです。このようにしてヤロブアムは、北王国イスラエルの宗教的、信仰的な基礎を、その最初の一歩において、間違った方向へ向けて据えてしまったのです。主なる神様に従い、仕えるという方向へではなく、神様を人間の都合のために利用する、という方向へです。北王国は、このヤロブアムが据えた方向性、即ち罪を最後まで脱却することができませんでした。北王国が滅んだのはこの罪のゆえだったのです。列王記下の17章21節以下には、北王国イスラエルがアッシリアによって滅ぼされたことの理由がこのように語られています。「主がダビデの家からイスラエルを裂き取られたとき、このイスラエルの人々はネバトの子ヤロブアムを王としたが、ヤロブアムはイスラエルを主に従わないようにしむけ、彼らに大きな罪を犯させた。イスラエルの人々はヤロブアムの犯したすべての罪に従って歩み、それを離れなかった。主はついにその僕であるすべての預言者を通してお告げになっていたとおり、イスラエルを御前から退けられた。イスラエルはその土地からアッシリアに移され、今日に至っている」。北王国イスラエルは、ヤロブアムの罪のゆえに滅びたのです。その滅びへの第一歩が本日の箇所で踏み出されているのです。
分かれ争う民
神様の民であるイスラエルが、このように分裂し、争い合う関係になってしまう、それは悲しいこと、残念なことです。しかし世界の歴史は、また神の民イスラエルの歴史は、そして新しいイスラエル、新しい神の民である教会の歴史も、そして私たち一人一人の歩みも、いつもこのような分かれ争いに陥っていくものであることを私たちは思い知らされています。それは私たち人間の罪と愚かさによることです。今繰り広げられている戦いも、まさに罪と愚かさによってもたらされた結果であると言わなければならないでしょう。本日共に読まれた新約聖書の箇所、コリントの信徒への手紙一の第6章には、パウロが、コリントの教会の中で兄弟どうしの間に争いが起こっていることについて、あなたがたの中には兄弟の争いを仲裁できる者がいないのか、と嘆いている言葉があります。そこでパウロは、私たち信仰者は、世を裁き、天使たちさえも裁く者だということを知らないのか、と言っています。それは傲慢なことを言っているのではなくて、私たちは、主イエス・キリストが私たちのために十字架にかかって死んで下さったことにおいて、私たちの全ての罪が裁かれ、そして赦されたことを知っているはずではないか、ということです。そういう者どうしの間で、どうしてなお裁き合い、争い合うのか、それは私たちのために裁きを受けて下さり、赦して下さった主イエスのみ心に反することではないか、とパウロは言っているのです。今この争いと憎しみによって引き裂かれてしまっている世界において、私たちが悔い改めて立ち帰るべきところは、この主イエス・キリストにおいて実現した裁きと赦しです。ここに立ち帰ることによって私たちは、自分の罪、問題、弱さにも目を閉ざすことなくはっきりと見つめ、そして神様の赦しの恵みの中で、自分の身の丈に合った道を歩む者となることができるのです。無益な争いを避けて平和を実現していく道はそこにこそ開かれるのではないでしょうか。
牧師 藤 掛 順 一
[2003年3月30日]
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