主イエスは洗礼を受け、荒れ野の誘惑を受けられ、ついに全ての備えの時が終わり、公の救い主としての歩みを始められました。マタイによる福音書や、マルコによる福音書においては、「神の国は近づいた。悔い改めて福音を信ぜよ。」という、主イエスの宣教における第一声が記されておりますが、ルカにはそれは記されておりません。ルカが記すのは、主イエスの故郷ナザレにおける宣教の出来事です。しかし、このナザレの会堂における出来事は、主イエスの宣教の始めの頃ではあったかもしれませんけれど、一番最初のことではなかったということは明らかです。23節に、「イエスは言われた。「きっとあなたがたは、『医者よ、自分自身を治せ』ということわざを引いて、『カファルナウムでいろいろなことをしたと聞いたが、郷里のここでもしてくれ』と言うにちがいない。」とありますから、主イエスはナザレでの前に、カファルナウムにおいて、すでに教えを宣べ、何らかの奇跡をしていたということは明らかです。どうして、ルカはこのような順序を入れ換えて、このナザレの会堂での出来事を、主イエスの宣教の出来事を記す最初にもってきたのだろうか。このことに思いを巡らさざるを得ません。
「ガリラヤの春」という言葉をお聞きになったことがあるでしょうか。しばしば、主イエスの生涯を語る時に使われる言葉です。主イエスが宣教を始められたのがガリラヤの地方であったことは良く知られています。そのガリラヤの地方での宣教、それは人々に受け入れられ、弟子達も出来、順風満帆の歩みであった。それを指して、「ガリラヤの春」と言うのです。確かに、14,15節を見ますと、「イエスは”霊”の力に満ちてガリラヤに帰られた。その評判が周りの地方一帯に広まった。イエスは諸会堂で教え、皆から尊敬を受けられた。」とあります。これは「ガリラヤの春」を指しているかのように見えます。ところが、16節から記されるナザレでの出来事は、14,15節で告げられていることと、正反対のことが記されているのです。私共は、こういう所を読みますと、主イエスは一体、人々に受け入れられ、尊敬されたのか、それとも受け入れられずに反感を買ったのか。どっちなのだ。そんな思いを抱くのではないでしょうか。ガリラヤの春は本当なのか。それとも、春ではなくて冬だったのか。私は、聖書のこういう所を読む時は、聖書が語っていることを、そのままにちゃんと読めば良いのではないかと思うのです。
ここを、そのまま読みますと、主イエスがガリラヤにおいて宣教を始めると、主イエスは会堂で教えをなし、その評判は広がり、人々から尊敬を受けた。しかし、ナザレにおいて会堂でお語りになった時には、そうではなかったということになるでしょう。これは、冷静に考えてみれば、当然のことではないかと思うのです。主イエスが教えを宣べる。それは、人々が今まで聞いたことのない、力ある、新しいものであったことでしょう。それを聞いた人々の間に、これはスゴイと言って尊敬する者もいれば、とんでもないことだと言って反発する者がいる。それが当たり前のことなのではないでしょうか。最近テレビや新聞では、ライブドアの堀江氏によるニッポン放送の株の買収の記事が連日報道されていますけれど、この堀江という人に対しての人々の反応は、実に様々です。主イエスと堀江さんを比べるのは、あまり適当ではないかもしれませんけれど、人の評価ということに関しては、同じようなことではなかったかと思うのであります。
主イエスは相手によって、言い方、たとえの用い方は変えられましたけれど、その語るべき内容を変えられたことはなかったと思います。それを人がどう受けとめるのか。それはまさに人によって違っていたのでしょう。それは、今も変わらないと思います。同じ福音を聞きながらも、それを受け入れ信じる人と反発する人とがいるのです。
さて、主イエスの宣教でありますが、その最初のあり方には、当時のユダヤ教の枠の中のものと、その枠をはみ出してしまう部分。別の言い方をすれば、ユダヤ教と連続する所と非連続の所がありました。
まず、ユダヤ教と連続する所、ユダヤ教の枠の中の部分を見てみましょう。第一にそれは安息日の会堂においてなされたということ。主イエスは普通のユダヤ人と同じように、安息日、現在の土曜日ですが、この日には会堂に入って、皆と共に礼拝をしたのです。この会堂における礼拝は、エルサレムの神殿の礼拝と違って、いけにえはありません。そうではなくて、聖書の朗読と、それについての説明が中心というものでした。これはバビロン捕囚の時代に生まれた安息日の守り方でありましたが、実は、この会堂での礼拝のあり方が、私共キリスト教会の礼拝へと受けつがれていると言っても良いと思います。主イエスは安息日の会堂の礼拝において、宣教を始められた。これは、正に当時のユダヤ教の枠の中のあり方でした。
第二に、主イエスの教えは旧約聖書に基づくものであったということです。今日お読みした所でも、主イエスはイザヤ書61章を読まれ、それについてお話しになりました。又24節以下の所では、列王記の所を話されています。細かいことですが、20節で主イエスはイザヤ書を朗読して、「席に座られた」とありますが、当時は座って、話をしたのです。現在のように、牧師が皆の前に立って話すという形ではありませんでした。主イエスは席に座って、話を始められたのです。主イエスは聖書、当時は旧約聖書しかありませんが、これを無視して自分の考えを述べるというようなものではなかったのです。聖書に基づいて神様の御心を解き明かしていていく。このあり方は、正に当時のユダヤ教のあり方そのものでした。
問題は、その聖書の理解の仕方です。これが、当時のユダヤ教の枠を超えていたのです。主イエスは、まずイザヤ書61章を読んで、こう言われた。21節「そこでイエスは、『この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した』と話し始められた。」このイザヤの預言は、「主がわたしに油を注がれた」という言葉からも判りますように、救い主、メシアの預言と受け取られていました。人々は、このメシア、油注がれた者、救い主を待ち望んでいたのです。その人達に対して、「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した」と言うのです。つまり、「わたしこそ、メシア、救い主であり、今日、救い主による神の支配が、ここに来た。」、そう、主イエスは宣言されたのであります。内容的に言えば、マルコ、マタイの言葉、「神の国は近づいた。悔い改めて、福音を信ぜよ」と同じだと言って良いと思います。イザヤが告げた神の救いの時が来た、つまり、神の国が来た、そう主イエスは言われたのです。イザヤの告げた神の言葉が、主イエスによって、現実となったのです。ここで、主イエスが「今日」と言われたことに注目したいと思います。「明日、実現するだろう」と言われたのならば、何も新しくなかった。皆もそう思って、明日を待っていたからです。しかし、主イエスが言われたのは「今日」なのです。皆さん、私共も又、「明日」と言われれば、少しのんきになって、「そういう日が来ればよろしいなあ。」ということで済むでしょう。しかし、主イエスが言われたのは、「今日」です。もちろん、私共の中でこのイザヤの預言が、「既に完成した」とは言えないでしょう。相変わらず、世界では、力の弱い者がしいたげられている現実があるのを、私共は知っているからです。しかし、「今日」なのです。「未だ完成はされていません」が、主イエスが来られたということは、このイザヤの預言が成就し始めたということなのです。「すでに、神の支配、神の国は来ている」ということなのです。誰の上に神の国は来たのか。他でもない、私の上に、私共の上に神の国は始まっているのです。もちろん、完成していません。だから、私共は御心が天になるごとく、地にもなさせ給えと祈りつつ、神の国の完成へと歩み続けているのです。明日なら、ただ待てば良い。しかし、今日である以上、私共は待つだけではなくて、すでに歩み始めなければならないのです。神の国の到来を知っている者として、御国の僕として、歩み始めるしかないのです。「今日」というのは、そのような決断を私共に求める時だということなのです。
さて、主イエスは更に25節以下で列王記上17章にあります「サレプタのやもめ」の話をします。加えて、列王記下5章にありますナアマン将軍の話をする。「サレプタのやもめ」もナアマン将軍も異邦人です。主イエスは、旧約聖書の中から、わざわざ、異邦人に神様のあわれみが示された所を引くのです。これは、異邦人の救いという、主イエスによってもたらされる救いの出来事の広さを告げているのですが、これは、まことにユダヤ教の枠を超えているものでした。ユダヤ人は、自分たちは神の民で救われるが、異邦人が救われることはない、そう信じていたからです。
この主イエスが救い主、メシアであるという宣言、そして異邦人も又救いに与るという主張。これは主イエスが宣べ伝えられた福音の中心にあることです。これを変えることは出来ません。ということは、このナザレでの出来事は、主イエスが語られた福音の中心において反対に会ったということを示しているのでありましょう。
なぜ、人々は反対し、反発したのか? それは、主イエスの語ることが、自分達の救いの理解と違っていたから、自分達の救いの理解を超えていたからなのでありましょう。最初、ナザレの人々は、主イエスが語られることを、顔見知りの気安さの中で聞いていたと思います。最近、あのウチの村のイエスが他所で教えを語っては、評判になっている。どんな話をするのか、聞いてみよう。そんな好奇心と誇らしげな思いが、この日の会堂に満ちていたのではないかと思います。ところが、主イエスの口から出た言葉は、自らがメシアであるという宣言であった。その言葉には、力があり権威があったことでしょう。ある人はほめ、ある人は驚いた。しかし、その時、皆の心の中にあった言葉が口に出ます。「この人はヨセフの子ではないか。」これは、ワシらが幼い頃から知っている、大工のヨセフの子ではないか。何を偉そうなことを言っているのか。確かに、ナザレの人々は主イエスを幼い頃から知っていたのです。しかし、それが主イエスが誰であるかを知っているということにはならないのです。人の子としてのイエスについては知っていた。しかし、そのことがかえって、神の子としてのキリストを知ることの妨げになっていたということではないでしょうか。私はここで、「見ないで信じる者の幸い」を思うのです。自分がもし、この時にナザレの人々と同じ所に居たら、きっと同じ反応をしたのではないかと思うのです。私は、主イエスを見たことがない。だから信じられる。そういう面があるのだろうと思います。来週、主の日の礼拝説教を、この4月に赴任することになった、矢部神学生がすることになっています。矢部神学生は、この教会の出身であり、奨学金で皆さんが四年間、お支え下さった方です。そうであるが故に、このナザレの会堂の人々と同じ過ちを犯さないよう、心しておかねばならないと思います。
主イエスは「サレプタのやもめ」の話をし、ナアマン将軍の話をして、異邦人の救いを語ります。これは、24節の「預言者は、自分の故郷では歓迎されないものだ。」ということを示している訳ですが、この故郷というのは、ナザレのことであると同時に、神の民イスラエルということを示しているのだろうと思います。ですから、これは、まさに「聞き捨てならぬ」ことを主イエスが言ったということであり、人々は憤慨し、主イエスを町の外へ追い出し、崖まで連れて行って突き落とそうとした(28,29節)のです。しかし、イスラエルの民には聞き捨てならぬ、この異邦人の救いの恵みの故に、私共は、今日あるを得ているのです。主イエスの宣教というものが、故郷ナザレの人々に受け入れられず、その人々によって殺されそうにまで至ってしまった。このことは、やがて主イエスの宣教は、神の民イスラエルの人々によって主イエスが殺される、十字架にかけられるということを暗示しているのでしょう。ルカが、このナザレの出来事を主イエスの公の宣教の最初にもってきたのは、そういう意図があったからなのだと思います。このナザレの出来事は、主イエスの宣教がやがて十字架へと至る、そのことを示しているのです。
しかし、この時主イエスは崖の下に突き落とされることはありませんでした。主イエスはこの時、逃げませんでした。「人々の間を通り抜けて立ち去られた。」と聖書は記します。不思議な光景です。人々の憤慨する気持ちの高ぶりよりも、主イエスの威厳、権威の方が力があったということでしょう。そして、これは、主イエスの十字架というものが、人々への敗北ではなくて、主イエスが自らその道を、力をもって選び取り、歩まれたということを示しているのではないでしょうか。人の姿をとられた神の言葉は、人間の力によって、滅ぼされたり、ないことにされるということなど、あり得ないのであります。
主イエスは、相手の顔色をうかがいながら語るべきことを変えたり、相手の反応を見て、権威ある者としての行動を変えたりはされなかったということなのでありましょう。私も又、牧師として、キリストの弟子として、このように生きたいと思うのです。つい人の評価が気になって、言うべきことも言えなくなってしまう、そういう弱さが、私共の中にはあるからです。もちろん、キリストのようにありたいというのは、いつも偉そうにしているということではありません。私共の権威は、僕としてのものなのですから、いつでも、どこでも、誰に対しても、僕としての姿を保ち続けるということになるのだろうと思います。我が内に宿り給うキリスト、神の言葉が、私共にそのような姿をとらせるということなのであります。神の言葉は、主イエス・キリストの上に成就した様に、私共の上にも成就しているからなのであります。神の言葉が宿った者として、神の僕としての権威と栄光を与えられた者として歩んでまいりたいと思います。
[2005年3月13日]
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