1.信仰によって歩むために
今朝与えられております御言葉は、パウロの第二次伝道旅行が始まるところです。15章では、エルサレムで開かれた使徒会議において、異邦人に割礼を求める必要はない、ただ信仰によって、ただキリストの恵みによって救われるという大原則が確認されました。これを受けまして、パウロは、第一次伝道旅行で福音を伝えた町を訪ね、主を信じる信仰を与えられた人々を見てこようと、バルナバに提案いたしました。第一次伝道旅行の時も、パウロは町から町へと福音を伝えていき、帰る時には通った道を引き返すようにして、その町々を再訪して信徒たちを励ましました。そして、群れごとに長老を立て、きちんと信仰の歩みを為していくことが出来るようにしながら戻ってまいりました。主イエスを信じるようになった人々、その人々の群れである教会が、きちんと信仰に立って歩んでいくこと、それが伝道者パウロの何よりの願いでありました。
「一度主イエスを信じたら、それで終わり。」伝道とはそういうものではありません。主イエスを信じた人々が、天に召されるその日まで信仰の歩みを全うするようにと、励まし、慰め、守り、支えていかなければなりません。特に、エルサレム会議において重大な取り決めが為されたのですから、このことをきちんと伝えるということも、第二次伝道旅行の一つの目的であったと思います。16章4節「彼らは方々の町を巡回して、エルサレムの使徒と長老たちが決めた規定を守るようにと、人々に伝えた。」とあるとおりです。
2.伝道から伝道へ
このパウロの提案を受けまして、バルナバも「行こう」ということになりました。第一次伝道旅行が紀元46〜48年頃、エルサレム会議が48年頃、そして第二次伝道旅行は49年の春から52年の秋にかけて行われたと考えられています。ついでに申しますと、53年春から58年春にかけて、第三次伝道旅行が為されました。これは使徒言行録18章23節以下に記されています。そして、58年にはパウロはエルサレムにおいて捕らえられ、ローマへ送られ、64年にローマで殉教したと考えられています。このように見てまいりますと、パウロという人は、伝道の報告のためにアンティオキアやエルサレムの教会に戻ってはきますが、すぐに次の伝道旅行に出かけてしまいます。実に伝道にすべてをささげた人であったということが分かります。少し言い方が変かもしれませんけれど、本当に伝道が好きだったのだと思うのです。好き嫌いで伝道するものではありませんれけれど、仕方なしにするものでもなかろうと思います。しないではいられない。そういうものでしょう。 私共は使徒言行録を共に読み進めているわけですが、ここにはそのような伝道の熱と言うべきものがあふれています。私共は使徒言行録を読みながら、初代教会にはこういうことがあった、ああいうことがあったと、歴史的な知識を増やすために読んでいるのではないのです。それを知ることも大切ですけれども、しかしそれ以上に大切なことがあります。それは、聖霊なる神様によって初代教会の人々が伝道へと押し出されていったことを受け止め、私共もまた、同じように聖霊の息吹を受けて伝道へと押し出されて行くことです。伝道が好きでたまらない者にされることです。それが私共の願いなのです。使徒言行録に記されておりますことは二千年前のことですけれど、これを導いた聖霊なる神様は、今も変わらず私共の上にも臨んでくださっているからです。この聖霊なる神様の息吹の中で、伝道へと押し出されていく。そのために、この使徒言行録から御言葉を受け続けているのです。
3.マルコを巡って
さて、第二次伝道旅行に出発するに際して、一つの問題が持ち上がりました。第一次伝道旅行において途中で帰ってしまったマルコを、一緒に連れて行くかどうかということです。パウロは一緒に連れて行くべきではないと主張しました。しかし、バルナバは一緒に連れて行こうと主張しました。このマルコは、マルコによる福音書の著者のマルコです。彼は、使徒言行録12章12節にありますように、エルサレム教会の最初からの信徒であった婦人を母としています。この婦人の家は、ペトロが天使によって牢から救い出された時に最初に向かった所であり、そこには信徒たちが大勢集まって祈っていたのですから、教会の集会に用いられている家だったと考えて良いでしょう。また、コロサイの信徒への手紙4章10節には「バルナバのいとこマルコ」という記述があります。マルコの母は、マルコといとこであるバルナバに将来を託すつもりで、バルナバとパウロに息子マルコを預けたのでしょう。使徒言行録12章25節に「バルナバとサウロはエルサレムのための任務を果たし」とありますが、これはアンティオキアの教会からエルサレムの教会に援助の品を送り届けるというものでした。この帰りに、バルナバたちはエルサレムからアンティオキアにマルコを連れ帰って来たのです。そして、バルナバたちは彼を第一次伝道旅行に連れて行ったのです。しかし、マルコは途中で帰ってしまった。理由は分かりません。エルサレムの豊かな家に育った青年マルコは、迫害を受けても伝道し続けていくパウロたちについていけなかった。あるいは、エルサレムの教会に育ったマルコは、ユダヤ人キリスト者として、パウロの福音理解についていけなかった。いろいろ考えられるわけです。本当の理由は分かりませんけれど、マルコは第一次伝道旅行の途中で帰ってしまったのです。
そしてその結果、このマルコに対する扱い方を巡って、パウロとバルナバというアンティオキア教会を代表する二人の伝道者が、ついに一緒に伝道旅行をすることが出来なくなってしまったのです。こういうことが起きますと、教会も世の中も変わらないではないかと、つまずく人も出るかもしれません。またこういう箇所を読みますと、パウロが正しい、バルナバが正しいと、どちらかの味方をしたくなるかもしれません。しかし、聖書はここで、パウロが正しいとも、バルナバが正しいとも言っていないのです。読み方によっては、39節で「バルナバはマルコを連れてキプロス島へ向かって船出した」としか記していないのに、40節で「一方、パウロはシラスを選び、兄弟たちから主の恵みにゆだねられて、出発した。」とありますから、アンティオキアの教会はパウロを支持したと読めなくもありません。実際、この後の使徒言行録はパウロの足跡をたどるようにして記されていきます。しかしそれは、パウロの足跡をたどりながら、主の福音がついにローマにまで至ったということを記そうとする著者の意図があるからです。ですから、ペトロについても、12章で天使によって牢から救い出されて以降、使徒言行録に出てくることはありません。しかしそれは、ペトロが重要ではなくなったということではないのです。使徒言行録は、主の福音がエルサレムからローマに至る、そのことを記すことによって、福音が全世界へと広がっていく、その聖霊の御業を記そうとしている。福音がローマに至るということは、福音が全世界に広がるという象徴的意味を持ちます。そして、その例としてパウロの歩みが取り上げられているのです。ですから、パウロに対してこのように書かれていると考えることも出来るのです。
ここで大切なことは、パウロが正しいか、バルナバが正しいかということではないのです。現代の私共は、一度失敗したマルコに対してチャンスを与えているバルナバの方が正しいように考える傾向があるかもしれません。それはそれで良いでしょう。しかし、パウロのように「連れて行かない」と言うことによって、マルコに前回の失敗を真剣に受け止めさせるということだって、大切なことだと思うのです。ここでパウロは父のように、バルナバは母のようにマルコに接することによって、マルコが伝道者として成長するよう教育することになった、このことが大切なのだと思うのです。バルナバもパウロもそのことを意図していたということではありません。パウロのマルコに対しての対応の仕方も、バルナバの対応の仕方も、それはそれぞれの性格に起因するものだと思います。二人で話し合って役割分担をしたわけではない。しかし、結果としてはマルコを伝道者として成長させることになった、そういうことなのです。どちらが正しいかではなく、どちらも役割を果たしたのです。ですから、マルコはこの後、パウロとも一緒に伝道しましたし、パウロはマルコを大変評価し、頼りにもするようになった。テモテへの手紙二4章11節には「マルコを連れて来てください。彼はわたしの務めをよく助けてくれるからです。」とあり、フィレモンへの手紙24節には「わたしの協力者たち、マルコ、アリスタルコ、デマス、ルカからもよろしくとのことです。」とあります。パウロもバルナバも、青年マルコに対して真剣に対応したのだと思うのです。その真剣さが、対応の仕方は違っても、マルコを一人前の伝道者へと成長させていった。そう思うのです。
一人の牧師は、どうしてもパウロ型、バルナバ型のどちらかになりやすいものです。しかしそれでは、信徒の健全な成長というものは果たせないのではないかと思うのです。牧師がパウロ型ならバルナバの役を担う人が、牧師がバルナバ型ならパウロの役を担う人が、どうしても教会には必要だと思うのです。
ここでパウロとバルナバは別れて伝道旅行に行くことになったのですが、これは見方を変えれば、二つの伝道隊が出来たということでもあります。使徒言行録には、先ほど申しました理由によってパウロの伝道旅行しか記されていないのですが、バルナバたちがキプロス島で行った伝道も主は用いてくださり、成果を与えられたと思います。その証拠に、キプロス島はこれから150年後にはほぼ全体がキリスト教になっているのです。神様は、パウロとバルナバの対立という、人間的に見ればまことに困った出来事でしたが、これをも用いて、福音を広げていかれたのであります。
4.シラスとテモテ
さて、パウロはシラスを連れて行くことにしました。このシラスという人は、エルサレム教会から、エルサレム会議の結果をアンティオキア教会に伝えるために遣わされた人です。エルサレム教会で「指導的な立場にいた人」であると、15章22節には記されております。この第二次伝道旅行の目的の一つにエルサレム会議での報告もあったと思いますので、そのためには適当な人選だったのでしょう。また、この人の信仰、人柄というものをパウロが評価したということでもあったと思います。
そして、この伝道旅行においてパウロと共に伝道し始めることになった人にもう一人、忘れることの出来ない人が加えられました。それがテモテです。彼はこの時から終生パウロと共に伝道し、その二人の関係は実の親子のように深い愛と信仰で結ばれたものでした。新約聖書の中に、このテモテに宛てたパウロの手紙が二つ収められているほどです。ここには、若い伝道者テモテのために、伝道者として気をつけること、心得ているべきことが、ていねいに愛情深く記されています。テモテへの手紙一1章2節「信仰によるまことの子テモテへ」とありますし、テモテへの手紙二1章2節「愛する子テモテへ」とあります。この第二次伝道旅行に際して、パウロはマルコと別れなければなりませんでした。しかし神様は、マルコに代わってテモテを備えてくださったのです。
このテモテは、第一次伝道旅行で主イエスを信じるようになった人です。母はユダヤ人でしたが、父はギリシャ人であり、割礼を受けておりませんでした。当時のユダヤ人社会において、このギリシャ人との間に生まれた子というのは、本当のユダヤ人とは認められない、差別の対象でありました。しかし、福音が異邦人へと伝えられていくというこの時、父がギリシャ人で母がユダヤ人であるということは、どちらの文化、考え方も分かるということであり、伝道にとってとても重要なことだったのではないかと思います。
ここでパウロは、テモテに割礼を受けさせました。エルサレム会議の決定によれば、割礼は必要ないのです。その会議の決定を伝えるという目的も持ったこの伝道旅行において、どうしてパウロはテモテに割礼を施したのか。原理的には必要ないのです。しかし、パウロの伝道は、町に入ったならまずはユダヤ人の会堂に入って、ユダヤ人に伝道する、そういうものでした。パウロは異邦人伝道のために召された使徒であると自認しておりましたけれど、ユダヤ人はどうなっても良い、そんな風には考えておりません。そのことについては、ローマの信徒への手紙9章以下に記されております。
そして9章3節には、「わたし自身、兄弟たち、つまり肉による同胞のためならば、キリストから離され、神から見捨てられた者となってもよいとさえ思っています。」とあります。彼にとっては、ユダヤ人こそ、キリストの救いに与らなければならない民だったのです。ですからユダヤ人の会堂で伝道したのです。もしテモテが割礼を受けていなければ、彼の言うことなど、ユダヤ人は誰も聞いてくれない。そのことをパウロは知っていました。だから、彼はテモテに割礼を受けさせたのでしょう。コリントの信徒への手紙一9章19〜20節「わたしは、だれに対しても自由な者ですが、すべての人の奴隷になりました。できるだけ多くの人を得るためです。ユダヤ人に対しては、ユダヤ人のようになりました。ユダヤ人を得るためです。律法に支配されている人に対しては、わたし自身はそうではないのですが、律法に支配されている人のようになりました。律法に支配されている人を得るためです。」テモテもまた、ユダヤ人を得るためにはユダヤ人のようになることを良しとして、割礼を受けたのでしょう。神様は、まことに良き人をパウロのために備えてくださいました。
5.同労者と共に
神様は最初、パウロのためにバルナバを備えてくださいました。そして、バルナバと別れてからはシラスを、そしてテモテを備えてくださいました。神様はいつでも、共に働く人を備えてくださいます。それは、モーセが召された時にアロンが備えられたのと同じです。神様は決して、私共が一人で神様の御用をするようにはなさらないのです。必ず同労者を与えてくださるのです。信仰による愛と信頼で結ばれた同労者を与えてくださるのです。ですから神様の御用というものは、一人でしなくて良いのです。神様の業は、同労者との共同作業によって為されていくものなのです。それはこういうことだと思います。私共は、主イエスの十字架により救われて、神様との間に愛と信頼の関係を与えられた。この関係は、救われた者同士の間に、愛と信頼の関係を生み出す。そして、この人と人との間に生まれた信仰による愛と信頼の交わりの中に神はおられるのです。そしてその交わりは神様を証しするのです。私共の神様との関係は、そこにとどまり得ないのです。人と人との関係をも造り変えていくのです。この神様によって生み出されたうるわしい交わりこそ、同労者の交わりなのでありましょう。教会の交わり、それはこの同労者としての交わりであるという面を見失ってはなりません。神様に共にお仕えする。そこに生まれる交わりなのです。
私共は今から聖餐に与ります。この聖餐は、私共をただ一つのキリストの命に与る交わりへと導きます。このキリストの命に共に与る者は、キリストにお仕えするということにおいて結ばれる、同労者としての交わりを形作っていくことになるのです。
[2010年1月3日]
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