1.神様の御計画の中での長い旅
「わたしとわたしの家は主に仕えます。」このヨシュアの告げた言葉を、私共は今朝、自分の言葉として告白するために、ここに集められました。
ヨルダン川を渡って約束の地に入ったイスラエルの民は、その土地を神様が自分たちに与えてくださった土地として受け取り、新しい歩みを始めます。イスラエルの民を率いてきたヨシュアは、新しい土地を各部族に割り当てる作業を終え、年老いました。そして、部族をそれぞれその嗣業の地へ送り出すにあたり、神様は全部族をシケムに集めてヨシュアを通して語ります。この時神様は、ヨシュアがモーセから引き継いでヨルダン川を渉ったところから語ったのではありませんでした。何とアブラハムから語り出すのです。この約束の地へと至る旅は、神様がアブラハムを召し出し、契約し、アブラハムが故郷を後にした時から始まると言うのです。アブラハムは神様と契約し、「あなたは生まれ故郷、父の家を離れて、わたしが示す地に行きなさい。」との神様の言葉に従って旅に出ました。アブラハム、イサク、ヤコブと続き、ヤコブとその子たちはエジプトに住むようになりました。そのエジプトからモーセによって導き出されたイスラエルの民は、40年の間荒野を旅し、ヨルダン川の向こう側まで来たのです。そして、イスラエルの民はモーセに続くヨシュアに率いられてヨルダン川を渡り、この約束の地に至った。アブラハムから数えるならば、数百年に及ぶ長い旅です。その旅が今終わろうとしています。この時ヨシュアは、全イスラエルに対して、改めて「主を畏れ、真心を込め真実をもって主に仕え」ることを求めます。「もし、主に仕えたくないというならば、川の向こう側にいたあなたたちの先祖が仕えていた神々でも、あるいは今、あなたたちが住んでいる土地のアモリ人の神々でも、仕えたいと思うものを、今日、自分で選びなさい。ただし、わたしとわたしの家は主に仕えます。」と告げたのです。そして民は皆、主に仕えることを誓ったのです。シケムの再契約です。
アブラハム以来の長い旅は終わりました。新しい土地、神様が与えてくださった約束の地での生活を新しく始める。その時ヨシュアは、イスラエルの民に神様との契約を改めて結ばせ、神様との契約を更新して、歩みを始めようとしたのです。長い旅の終わり。それは新しい歩みの出発の時だったのです。ヨシュアは、この新しい歩みの出発ということを明確に意識し、イスラエルの民に再契約を求めたのです。
神の民の歩みというものはいつでも、契約を更新し、神様の御前における姿勢を正しながら為されていくものなのでありましょう。新しい地に移り住む、新しい職場に移る、新しい人と人生を共にする、そのような出来事はたまたまそうなったのではなくて、長いそれまでの歩みがあって、神様の御計画の中でそうなったのです。私共は、新しい歩みを始める時、何よりもそこに至るまでの歩みを神様の御計画の中のことと受けとめて、その神様の御心の中で新しく歩み出すことを心に刻むのです。そんな人生の転機というようなことではなくても、私共は週の初めの日に、神の国への一週間の旅を終えてここに集まってきます。それは、新しい神の国への一週間の旅に出発するに際して、神様との契約を新しく心に刻むためであります。私共は、何となく一週間を過ごしているのではないのです。その歩みがどんなにたどたどしいものであったとしても、神の国に向かっての一週間の歩み、旅をしているのです。この旅は、神の国に至るまで終わることはないのです。
2.パウロのローマ到着
御一緒に読み進めてきた使徒言行録ですが、パウロは長い旅の末に、やっとローマにたどり着きました。しかし聖書は、このことを実に淡々と記すのです。14節の最後に「こうして、わたしたちはローマに着いた。」と記すだけです。パウロは第三次伝道旅行の途中で、自分はエルサレムに行き、そこからローマに行かねばならないことを神様から知らされておりました。このローマ到着の3年以上前のことです。その間、ユダヤ人から命を狙われたり、2年におよぶ監禁があったり、船の遭難があったりと実に様々なことがあって、やっとローマに着いたのです。しかし、聖書には、「やっと着いた」とか「ついに到着した」という感慨深い表現は全くないのです。「こうして、わたしたちはローマに着いた。」と記すだけです。それは、ローマに到着することが目的ではなかったということを意味しているからだろうと思います。神様の御計画の中におけるパウロの歩みにおいて、このローマに到着するということは、ほんの通過点に過ぎないことだったということです。確かにローマに着くまでに様々なことがあり、長く大変な旅だった。しかし、ローマに着いたのはそこでやることがあってのことだったのです。到着することよりも、そこで何が為されるのか、そこが大切だということなのでしょう。
ローマでパウロがやること、それはもちろん、福音宣教です。パウロは囚人としてローマに来ました。しかし、パウロに対しての扱いは、おおよそ私共が囚人に対して持っているイメージとはかけ離れています。16節「わたしたちがローマに入ったとき、パウロは番兵を一人つけられたが、自分だけで住むことを許された。」とありますし、30〜31節「パウロは、自費で借りた家に丸二年間住んで、訪問する者はだれかれとなく歓迎し、全く自由に何の妨げもなく、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストについて教え続けた。」とあるのです。囚人ですから、自由にローマの町を歩き回ることは出来なかったとは思いますが、パウロの家に来る分には何の妨げもなく、パウロはその人たちに自由に福音を宣べ伝えることが出来たのです。パウロは囚人としてローマに護送されて来ました。しかし、自由に福音宣教が出来る扱いの中での囚人でした。ここにも、神様の守りがあったのです。
多分、ローマにいたこの2年の間に、パウロはいくつもの手紙を書いたと思います。そして、この2年の後、パウロはどうしたのか。それについてはいくつも伝承があり、はっきりしたことは分かりません。最初の願いどおり、イスパニア、今のスペインですが、そこにまで伝道したという説もありますし、またギリシャ・アジアに戻って伝道したとも言われています。そして最後にローマで殉教した。ちなみに、パウロがローマに着いた頃の皇帝はネロです。この時代、ローマのキリスト者の数が急速に増えていきました。そのことにパウロが大きな貢献をしたということは間違いないでしょう。
3.マルタ島からプテオリへ
さて少し話が戻りますが、マルタ島で3か月を過ごしたパウロたちは、アレクサンドリアの船に乗ってマルタ島を出発しました。今回の旅は大変順調に進みました。シチリア島のシラクサに寄港し、そこで3日間滞在し、それからイタリア半島のレギオンという港に寄ります。そこから北上してプテオリという港に着きました。ここからは陸路でローマに向かいました。多分、この港でアレクサンドリアの船は積み荷の小麦を下ろし、アレクサンドリアに戻ったのでしょう。このプテオリの港には、既にキリスト者がおりました。パウロたちは彼らに歓迎され、7日間もの間、そこに滞在したのです。これには、パウロを護送してきた百人隊長ユリウスの配慮があったことは言うまでもありません。彼は、パウロに対して、船が漂流し、マルタ島に着き、そこで3か月過ごすという日々の中で、並々ならぬ好意を持つようになっていたのではないかと思います。
ここで少し想像を働かせますと、当時はまだキリスト教会の立派な建物があるわけではありませんから、パウロたちとプテオリのキリスト者が出会うというのは、私共が考えるほど簡単ではなかったのではないかと思うのです。しかし、建物などない分、キリスト者同士のネットワークというものは、相当緊密に出来ていたのではないかと思います。プテオリの町のキリスト者のリーダー、これは長老と呼ばれていたかもしれませんが、その人の名前は知られていたのだと思います。そしてその人と連絡を取れば、プテオリの町のキリスト者がすぐに集まったのでしょう。
パウロは、異邦人キリスト者の間では既に有名な存在だったはずです。プテオリの町のキリスト者たちは、パウロと一緒に主の日の礼拝を守ることを願ったのではないでしょうか。それが、7日間滞在したという意味ではなかったかと思うのです。プテオリの町に何人のキリスト者がいたのかは分かりませんけれど、エルサレムで捕らえられてから2年半以上、パウロは兄弟姉妹と共に主の日の礼拝を守ることはなかったのです。ローマに着く前に、彼はプテオリの町の人々と信仰の交わりを為し、主の日の礼拝を共に守り、共に聖餐に与ったのです。そしてそれは、パウロにとって何より嬉しい時ではなかったかと思うのです。
4.出迎え
「パウロがプテオリに着いた。ローマに向かっている。」という知らせは、プテオリのキリスト者からローマにいるキリスト者へすぐに連絡が行ったのだと思います。プテオリからローマまで200kmほどですから、歩いて4、5日の道のりでしょうか。パウロたちがプテオリの町を出発しローマに行く途中で、ローマからパウロたちを迎えに来たキリスト者と出会いました。アピイフォルムという町とトレス・タベルネという町においてです。アピイフォルムという町はローマから約70kmの所にある町で、ローマから2日ほどの所です。トレス・タベルネはローマから50kmほどの所にある町で、ローマから1日半ほどの所です。この二つの町は共にアッピア街道沿いにある町でした。多分、この時二つのグループがパウロを出迎えに来たというよりも、出発した時は一つのグループだったのが、歩いている内に二つのグループになってしまったということではないかと思います。青年・壮年の男子のグループは歩くのが速く、子供や女性のグループが歩いているうちにだんだんと少しずつ遅れたということではないかと思います。つまり、パウロを出迎えるために、ローマのキリスト者の老若男女が出かけて来たということだったのだと思います。アピイフォルムで青年・壮年のキリスト者と出会い、パウロは、こんなにまでして自分を迎えてくれる兄弟がローマにいるということに感動し、喜んだに違いありません。パウロと出迎えに来た人たちは並んで歩きながら、色々な話をしたことでしょう。そしてその話の中心は、ローマの教会の様子であったに違いありません。パウロはまだローマに来たことはありませんでした。しかし、ローマの教会と関わりのある同労者は何人も知っていました。あの人は元気か、あの人はどうだ、そんな話もしたでしょう。
そして、半日ほど進んでトレス・タベルネの町まで来ると、今度は子供や婦人や年配のキリスト者たちがパウロを迎えたのです。このキリスト者たちの人数は分かりません。何百人ということはなかったでしょう。2、30人だったかもしれません。しかし、この兄弟姉妹の出迎えはパウロを勇気づけたのです。パウロは主と共におりました。パウロと共におられる主イエスこそ、パウロの勇気の源でした。しかし、パウロと共におられる主イエスは、愛する兄弟姉妹との交わりの中に、その御姿を現されるのです。「二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである。」(マタイによる福音書18章20節)と約束してくださったとおりです。
私にはこの場面が「牧師の着任の日の様子」と重なって見えてくるのです。知った人が誰も居ない町の教会に牧師が着任する。電車を降りると、何人かの教会員が迎えに来ている。改札口を出ると更に何人かの教会員がいて、教会に着くと子供もお年寄りもみんな集まっている。みんなで讃美歌を歌い、祈りを合わせる。牧師もその家族も、ここには一緒に伝道する兄弟姉妹がこんなに居る。そのことを知らされ、励まされ、心を熱くするのだろうと思います。
今日の礼拝を最後に、二人の姉妹が転居されます。T姉とA姉です。お二人の上に、その新しい地における歩みの上に主の祝福があることを祈るものでありますが、お二人に申し上げたいことは、このことです。新しい土地に行っても、主にある兄弟姉妹があなたがたを待っているということです。誰も知った人のいない土地であるかもしれません。初めて行かれる土地であるかもしれません。しかし、そこには信仰を同じくし、共に神の国に向かって歩む兄弟姉妹がいるのです。だから、安心してください。この兄弟姉妹との交わりこそ、どんな時にも私共に勇気を与えてくれるものなのです。この交わりこそ、神様が私共に与えてくださった素晴らしい贈り物なのです。あなたたちには、それが備えられているのです。
5.神様の御業を為すために遣わされた者
パウロは、プテオリの港に到着して以来、こうして目に見えるキリスト者の交わりを与えられ、慰められ、勇気を与えられて、ローマへとやって来ました。このようにパウロのローマ到着の様子を見てきますと、これはおおよそ囚人の護送というイメージとはかけ離れたものであると、皆さんも思われたことと思います。
使徒言行録の著者ルカは、このパウロのローマ到着の場面を、棕櫚(しゅろ)の主日における主イエスのエルサレム入城の場面と重ねるようにして記しているように思えます。受難週の初めの日、主イエスが子ろばに乗ってエルサレムに入城し、人々が棕櫚の枝を振って迎え入れた、あの場面です。主イエスは結局エルサレムで十字架に架けられてしまうのですが、主イエスは力によらず愛をもって支配される「まことの王」、神の民が旧約以来待ち続けたメシヤ、救い主としてエルサレムに入城されたのです。パウロもまた、囚人としてローマに護送されたのですけれど、それは単なる囚人ではなくて、主の囚人として、主にお仕えし、主の御言葉を宣べ伝える者として、ローマに入った。このローマの教会の人々に囲まれて、ローマに入っていくパウロの姿はそのことを示そうとしているのではないかと思うのです。人の目には、パウロはローマ帝国の一囚人に過ぎません。しかし神様の目には、パウロは神様の大いなる救いの御業に仕える僕であり、パウロのローマ入りは、このローマを神様のものとするという神様の御計画の中での出来事であったということなのであります。パウロはこのことを受けとめていたと思います。自分を出迎えに来てくれた人々は、この神様の御心の確かなしるしだったのです。ですから、パウロは自分を迎えに来た人々を見て、神様に感謝し、勇気づけられたのです。自分は、神様の御手の中で生かされ、神様の御業を為すためにローマに来た。そのことをしっかり受けとめたのです。だから、神様に感謝をし、勇気づけられたのです。
私共は、それぞれの場所に、この神様の御業を為すために、神様によって遣わされたのです。このことをしっかりと受けとめる時、私共にも勇気が湧いてくるのです。たまたまこうなった。そう思っている内は、勇気も元気も出て来ないのです。この仕事に就いた、この地に転居になった、この人と結婚した、この学校に入った、ここに家を建てた等々、それらはみんな偶然そうなったということではないのです。それらは全て、神様の御計画の中にある長い旅の末にそうなったということなのです。そして、そこには神様の意図があるのです。私共を神様の救いの御業に用いようとされる神様の御計画があるのです。そのことをきちんと受けとめて、「わたしとわたしの家は主に仕えます。」と告白し、自分が生かされているその場にあって、主の御用に精一杯お仕えしたいと思うのです。
[2010年7月25日]
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