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「ナルニア国物語」について 第13回2.「カスピアン王子のつのぶえ」(5)牧師 藤掛順一
カスピアンと合流したピーターとエドマンドは、今後の作戦を立てます。それはピーターがミラースに一騎打ちの果し状を送るということでした。しかしミラースの軍勢は優勢に戦いを進めており、もとナルニア軍は追い詰められているのですから、ミラースが一騎打ちの申し出に乗るとは思えませんでした。しかし、ミラースの側近であった二人の貴族が彼を兆発してその申し出を受けさせてしまいます。彼らはミラースがカスピアン九世を暗殺して王位を簒奪する時に手を貸したのですが、その後自分たちが重んじられないことを不満に思い、一騎打ちでミラースが破れたらこの国を乗っ取ろうと思ったのでした。
かくして、ミラースとピーターの一騎打ちとなりました。そのさ中、ミラースがつまづいて倒れると、例の二人の貴族が「王が裏切り者によって刺された」と叫び、そこからは両軍入り乱れての乱戦となりました。彼らはその混乱の中でミラースを殺してしまいます。しかし戦いはそう長くは続きませんでした。もとナルニア軍の背後から、アスランが目覚めさせた木の精たちがおしよせてきたのです。森を恐れていたテルマール人たちは、その姿を見ただけで震え上がり、逃げ出しました。もとナルニアはこうして勝利を納めたのです。 さて、もとナルニア軍の中にもの言うネズミの一団がありました。その頭(かしら)はリーピチープという名で、名誉をこの上なく重んじる勇敢な騎士でした。このリーピチープが、戦いのさ中に、しっぽを切り落とされてしまいました。頭(かしら)がしっぽというネズミの誉れを失ったからには、自分たちもそれを切り落とそうと剣を抜いたネズミたちを見てアスランはこう言います。「あんたがたは、わたしをうちしたがえたな。まことにりっぱな心をそなえた者どもよ。リーピチープ、これはあんたの品位のためではなく、あんたとその隊の人々との間に流れる愛のために、いや、それ以上に、むかしあんたがたのともがらが、石舞台でゆわかれていたわたしのつなを食いきってくれたあの親切のために、もう一度あんたのしっぽをつけて進ぜよう。よいか、むかしのことをあんたがたはとうに忘れておろうけれど、その時あんたがたは、ものいうネズミになったのだよ」。 ここに、第一巻「ライオンと魔女」とのつながりが示されています。そしてこのリーピチープは、次の第三巻「朝びらき丸東の海へ」の主要な登場人物(?)となるのです。 さて、アスランによってカスピアンはナルニア王カスピアン十世として即位し、ナルニアは人間ともの言うけものたちが共に生きる国として再出発することになりました。そのことを喜ばない人間たちには、アスランが新しい地を与えることになりました。人々の前でアスランは、テルマール人たちがナルニアを治めるようになったいきさつを語りました。彼らはもともとはピーターたちと同じ人間の世界の者で、その先祖は南太平洋のある島に、嵐のためにただよいついた海賊だったのです。その島にあった魔法の穴を通ってこの世界へと来た彼らはテルマールの地に住みつき、やがてナルニアを征服して支配するようになったのです。カスピアンはそれを聞いて、「わたしどもが、もっと名誉ある血すじを受けておればよかった、と存じます」と言いました。するとアスランは、「いや、あなたはアダムのとのとイブのかたとの血すじなのだ。そしてそれこそ、世にもまずしい乞食の頭をもたげさせるほど名誉があり、地上でもっとも偉大な皇帝をさえ、ふかくおじぎさせるほど、はじを知るもの、人間というものだよ。ほこりを失ってはいけない」と言います。アダムとイブの子孫である人間とは、かくも名誉ある、尊厳ある存在なのだということです。それゆえに、これまでにも度々語られたように、ナルニアはもの言うけものたちの国ですけれども、その王は人間であるべきなのです。カスピアンは人間であるゆえに、その先祖はどのような者であろうとも、ナルニアの王たるに相応しい者なのです。そしてそれは、この物語を読む私たち一人一人にも、「あなたもナルニアの王たるに相応しい者だ」という語りかけでもあります。私たちがそのような誇りを持って生きることをこの物語は教えているのです。この誇りは、王様になって人の上に立とうとか、自分勝手に国を支配しようとかいう(ミラースのような)思いを与えるものではありません。まことの王であるアスラン=キリストの下で、キリストに従い仕える者であるところに、真の王者としての人間の本当の尊厳と誇りが与えられるのだ、ということを、この物語を読む者は自然に教えられるのです。 アスランはナルニアに住むことを喜ばない人間たちを、彼らがもともと住んでいたあの島に送り返そうと申し出ます。そこへ行くために、二本の杭を立て、横木を渡しただけの門のようなものが立てられています。そこをくぐることによってその島へ戻れるのです。一人の男が勇気を出して最初に行くことを申し出ます。彼が門をくぐると、その姿は忽然と消えてしまいました。それを見た他のテルマール人たちはおじけをふるいます。その時ピーターは「行こう、ぼくらの番が来た」と言います。ピーターとスーザンは既にその朝、アスランに呼ばれて指示を受けていたのです。テルマール人たちの不安を取り除くために、アスランの仲間の者がこの門をくぐって行く、それはピーターたち四人の役目だ、ということです。しかしピーターとスーザンにアスランが語ったことはもう一つありました。それは彼ら二人はもうナルニアに戻ることはない、ということでした。それは、二人とももう年をとりすぎているからだというのです。それを聞いたルーシィは「なんてお気のどくなんでしょう。がまんできる?」と聞きます。ピーターは「そうね、まあ、できると思うよ。それは、ぼくの思ったことと、かなりちがうけどね。きみたちも、ここにこられるさいごの時がくれば、わかるさ」と言います。この謎のような言葉の意味は、次の第三巻「朝びらき丸東の海へ」において明らかになっていくのです。 彼らはテルマール人たちの先頭に立って門をくぐりました。すると一瞬のうちに、最初のあの鉄道の駅のプラットフォームに戻っていました。前巻の場合と同じように、少しも時間は経っていませんでした。プラットフォームの景色についてのこのなにげない文章も印象的です。「いままで通ってきたところにくらべれば、一時はすべてが平凡で、たいくつなようにも思われましたが、そのうち、四人が思いこんでいたよりもはるかに、すてきなけしきに見えてきました」。ナルニアを知り、アスランとの出会いと交わりを与えられると、それまで平凡でたいくつに思えた日常が、違ったもの、すてきなものに見えてくる、というふうにこれを読むのは読み込み過ぎでしょうか。信仰とは、言ってみれば通常の目には見えない別の世界、ナルニアを知ること、アスラン=キリストとの出会いと交わりを与えられることです。その信仰によって、私たちの日常は違った意味と輝きを持つものとなるのです。 |
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