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「ナルニア国物語」について 第53回7.「さいごの戦い」(6)牧師 藤掛順一
砦の塔に戻った彼らは、翌日、ポギンから現在の状況を聞きました。木に縛り付けられていたチリアンが逃げ出したことについては、アスランが突然現れて、アスランを呪っているチリアンを一飲みにしてしまった、という話になっていました。その話をでっち上げたのは、ハジカミという猫でした。このハジカミが、今や酒におぼれているヨコシマをあやつって、カロールメンの隊長リシダと共に事を進めているのです。少し話は戻りますが、このハジカミは、あのうまやの前での夜の集会の時に、ヨコシマが「アスランとタシは同じものだ」と言ったことについて、リシダに「あなたもアスランとタシは同じものだとおっしゃるのですか」と念を押しました。リシダが「そのとおりだ」と答えると彼は納得した様子だったのです。ポギンはこの集会の後、落としたパイプを捜しに戻った時に、リシダとハジカミがこっそり話をしているのを聞きました。以下はポギンの証言です。 「『位高きタルカーンのとの、』とネコがネコなで声でいっております。『わたしは、きょうふたりしてアスランはタシ以外のなにものでもないといったことのいみを、はっきり知っておきたいと思います.』『うたがいもなく、ネコのうちでもっともちえある者よ.』とそのタルカーンが申します。『わしの申すいみをわきまえたな.』『あなたのおっしゃる意味は、』とハジカミ。『そんなものはどっちもいないということでしょうな。』『頭の進んだ者なら、だれにも知れたことよ。』とタルカーン」。 アスランとタシは同じものの別の名前だ、というのは、要するにそんなものはどっちもいない、ということなのです。ヨコシマのこの主張は、神から、アスランとかタシとかイエス・キリストという具体的な名を剥ぎ取って、抽象的な理念としての神を設定し、その神が国や民族によって別の名をもって信じられているという「合理的」な説明でした。ヨコシマは「おれたちの方が正しくて、カロールメン人たちの方がまちがっているというむかしからの考えかたは、みんなたわけだそ。おれたちは、いまやもっとよく知ってるんだ」と言っていたのです。それは、諸宗教の無益で悲惨な対立を解消するために有効な、正しい考え方のように見えます。けれども実際にそこに起っていくことは、このように、「神などいない」ということなのです。抽象的な理念としての神は、人間の思いによって作り出されたものであって、人間の都合によってどうにでもなるものです。そんな神はいないのと同じです。「神を畏れ、従う」ということはそこには出てきません。つまり、抽象的な神を信じるというのは、神を信じないというのと同じことなのです。 リシダとハジカミは、この「そんなものはどっちもいない」という考えに、「頭の進んだ」ナルニア人を引き入れていこうと相談しました。「タシにもアスランにも気をひかれずに、じぶんの利益に眼をくばっている連中は、ナルニアがカロールメンの一州となったあかつきに、ティスロックがあたえてくれるほうびを考えて、ぐらつきませんからね」というのです。彼らにとっては、神を信じ、従うなどということは愚かな者のすることなのです。「頭の進んだ」者は、目に見える現実のみを見つめるのです。小人たちが偽のアスランを見せられても王に従おうとしなかったのは、この、「アスランとかタシとか、そんなものは本当はいないのだ」というハジカミの影響によることではないか、とポギンは言うのです。 ポギンの話を聞いているうちに、一同は突然寒気を感じました。死体のようなにおいも漂ってきました。見ると、人間のような形をしながらも、猛禽の頭、四本の腕のある怪物が北へ、あのうやまの丘の方へと進んでいきます。それはタシの神でした。タシがナルニアへやって来たのです。ポギンは言いました。「タシのことも信じなかった毛ザルのばかが、やつがあてこんだ以上のものを、ひきあてたんです!やつは、タシをよびよせた。タシがやってきた、ってわけですよ」。また彼はこうも言いました。「サルのやつは、おどろくでしょうね。だれでも、なにをいっているのか知りもしないで、やたら、悪魔などよぶべきではありませんよ」。カロールメンにナルニアを売り渡し、ナルニア人をカロールメンに従わせるために、アスランとタシは同じものだ、などと言ってタシを利用したヨコシマたちは、自らは信じておらず、「そんなものはいない」と思って高をくくっていたタシ(悪魔)を呼び寄せてしまったのです。神にせよ悪魔にせよ、信じることなしにそれを自分のために利用していく時、思いもかけないしっぺ返しを受けることになるのです。 |
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