富山鹿島町教会

トップページ最新情報教会案内礼拝メッセージエトセトラリンク集
←戻る 次へ→
.

「ナルニア国物語」について 第64回

7.「さいごの戦い」(17)

 牧師 藤掛順一


 ここがうまやの戸の外の「影のナルニア」以上の、「まことのナルニア」であることを知った一同は、そのナルニアを「さらにおくへ、さらに高く」進んでいきました。影の国とまことの国の違いを、一角獣のたから石は次のように表現しています。
「ああ、わたしはとうとうもどってきた!こここそ、わたしのまことのふるさとだ!わたしは、もともとここのものだった。ここをわたしは、いままで知らずに、一生さがしもとめていたのだ。あのナルニアをわたしたちが愛していたわけは、時々ちょっぴりここに似ているところがあったからだ」。これは、プラトンのイデア論のとてもわかりやすい解説であると言えるでしょう。
 ついに一同は、緑の丘の上の、つい地に囲まれた果樹園の前に着きました。そこは、ディゴリーとポリーが、ナルニアの最初の日に、天馬に乗って旅をして来て、ナルニアを守るための木の実を持ち帰ったその場所でした。するとつい地の黄金の門が開かれ、一同を迎え入れたのは、ネズミのリーピチープでした。さらに彼らは園の中で、ナルニアの歴史に登場した、アスランを信じて生きたあらゆる人々と再会しました。つまり、既に死んだ人々との、アスランの国における再会です。
 ルーシィは、あのフォーンのタムナスと連れ立って、つい地のかなたに広がるナルニアをながめ、また果樹園の中を見つめてこう言います。
「いまやっとわかったわ。この庭は、あのうまやのようね。そとよりなかのようが、ずっと大きいのね。」「もちろんですよ。イブのむすめさん。」とフォーンがいいました。「あなたが、さらに高く、さらにおくへはいっていくにつれて、何もかもずっと大きくなるのです。うちがわは、そとがわよりも大きいものですよ。」 ルーシィが見ると、この果樹園の中は、彼女の知っている一つの世界でした。「わかったわ。」とルーシィ。「ここも、やっぱりナルニアね。下にあるナルニアよりも、もっと真実で、もっと美しいナルニアね。ちょうど下のナルニアが、うまやの戸のそとにあったまことのナルニアよりも、もっともっと真実で美しかったように!世界のなかにある世界、ナルニアのうちがわのナルニアだわ…」
 さらに見つめていると、東の海のかなたの、アスランの国の大山脈が見えてきました。そしてその連なりの中に、もう一つの世界が見えたのです。
「なんということだろう!」とピーターが声をあげました。「イギリスだ。しかもあの家だ―わたしたちの冒険がはじまった、カーク先生のいなかのやしきだぞ!」「あのやしきは、こわされたものと思ってたけど。」とエドマンド。「そうでしょう。」とフォーン。「でも、あなたがたの見ていらっしゃるのは、イギリスのうちがわのイギリス、まことのナルニアと同じまことのイギリスなのですよ。そしてあのうちがわのイギリスでは、よいものがほろびることは、ないんです。」
 ピーターたち三人のきょうだいは、その「まことのイギリス」の中に、彼らの両親の姿を見つけました。
「どうしたらわたしたち、あのおふたりのところにいけるのでしょうね?」とルーシィ。「それは、たやすいのですよ。」とタムナスさんがいいました。「あの国とこの国は―ともに、まことの国どうしで、―アスランの大山脈からわかれてつき出している丘どうしなんです。わたしたちは、ただ山なみの上を、さらに高く、さらにおくへ、歩いていけばいいんですよ。そうすればいっしょになるんですとも。」
「まことの国」どうしは、ナルニアも、私たちの世界も、共にアスランの大山脈に連なるものであり、その奥では(本質においては)繋がっている。ここでルイスは、ナルニアが単なる「別世界」ではないことを示しています。ナルニアは、別の世界であると同時に、私たちの世界としっかりつながっているのです。それをつなげているのは、アスラン(キリスト)の父である皇帝(神)です。「さらにおくへ、さらに高く」進んで行くときに、神において全ては一つとなるのです。
←戻る 次へ→