十二貫野用水は全国から注目されている

 黒部川にそうように、十二貫野用水という用水が今もながれている。
 今から約160年まえ、十二貫野の台地は作物がみのらず、死者が出るほどだった。加賀藩は、台地の開拓を計画、椎名道三に水をはこぶ用水をつくるよう命令した。
 道三は知恵をはたらかせて、わずか1年半でこの用水を完成させた。
 十二貫野用水には、いろんな工夫がされている。まず、水のうばいあいをふせぐため、田畑の広さにおうじて正確に水がわかれるようなしかけがつくられた。谷の間に管を通して、山の上から谷におりた水をもう一度山の上まではこぶ竜ノ口の知恵も有名だ。十二貫野用水には、ほかにもいろんな工夫がされていて全国から注目されている。

椎名道三(1790年〜1858年)



椎名道三像
(上市西永寺蔵)
 椎名道三は1790年に今の滑川市小林で生まれ、魚津市大熊の椎名家の養子になった。わずか16才の時に大熊村の開拓を行い、病気でたおれる前年の67才まで多くの土地の開拓にあたった。十二貫野の開拓を始めたのは49才の時で、その一生に開拓した土地は1万石以上ともいわれている。




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